カテゴリ:歴史( 20 )

豊川の城めぐり ー瀬木城跡ー


豊川市瀬木町にある瀬木城址です。
こんなところに城跡が?
というほどの平坦な土地にあります。

瀬木城は1493年に牧野古白が築城したものだそうです。
牧野古白は吉田城を築いたことで有名です。

この城は当時豊川のすぐ横にあり、
船運を通じて北の牧野城とつながっていたようです。
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現在は壊れた神社があります。
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裏手の竹藪にこんもりとした土盛り。
土塁にしては位置がおかしいが。
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さらに進むと堀がありました。
幅6間というので10m近くあります。
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場所は東名に通じる151号バイパスの近くです。
名前は以前から聞いていましたが、
こんなところにあるとは意外でした。


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by harahira2 | 2018-03-20 21:44 | 歴史 | Comments(0)

豊川の城めぐり ー岩略寺城址ー

岩略寺城は豊川市長沢町にあった城で、
関口氏がはじめに築き、
その後長沢松平氏が領有するなど、
城主は何度となく替わったようです。

岩略寺城は城山と呼ばれる
標高170mほどの山上に築かれたもので、
配置図を見てもわかるとおり
本曲輪の周りに何重にも曲輪をめぐらせた
かなり複雑な構造になっています。
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南曲輪。
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本曲輪。
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ここには井戸がいくつもある。
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三日月堀。
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東曲輪。
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曲輪の下にさらに曲輪があるはずですが
あまりにも高度差があるので下が見えません。
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全部回るには1時間では足りません。
かなり見応えのある城跡でした。

この日は雨の中の訪問でしたから
坂は滑りやすいし
草むらには入りづらいしで
じっくりと見学できませんでした。
また天気のよいときに行ってみたいと思います。




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by harahira2 | 2018-03-20 21:06 | 歴史 | Comments(0)

豊川の城めぐり ー伊奈城趾ー


豊川の城をいくつか回ってきました。
まず、伊奈城趾を取り上げます。
伊奈城趾は豊川市伊奈町にあり、
現在は伊奈城趾公園として整備されています。

この伊奈城は伊奈本多氏の城で、
三方を河川と沼地に囲まれた城でした。
現在は田畑の中にあります。
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伊奈城の説明と本多氏の系譜です。
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現在は本丸跡に物見櫓が模擬的に建てられています。
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土塁が残っていて石碑が設置されています。
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土塁は一辺だけですが、
かなり高く良好に残っています。
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発掘調査の時、逆茂木が出土したそうです。
逆茂木とは敵の侵入を防ぐため
先を外側にとがらせた柵です。
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徳川家康の先祖の松平清康が
この城で戦勝を祝ったとき
本多氏の家紋の葵をもらったということで
三つ葉葵のもとになったそうです。
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by harahira2 | 2018-03-20 20:43 | 歴史 | Comments(0)

新城の城めぐり ー古宮城ー


新城市作手清岳にある古宮城址を訪ねました。
同じ新城市作手清岳にある亀山城とは
1kmぐらいしか離れていません。
武田信玄が築かせた伝えられていますが
亀山城もこのころ武田方だった時期があり
関係はよくわかりません。

平地にあった小山に造られた平山城ですが、
かなり複雑で手の込んだ造りになっています。

現在は入口が神社になっています。
裏山が城跡です。
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解説板。
縄張図を見たいものです。
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曲輪のひとつ。
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とにかく堀が深いです。
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しかも何重にも堀と土塁が巡らされています。
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下から見上げたところ。
実は最上段に人が立っています。
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別な場所でも4段になっているところがあります。
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植林のため見通しづらいのですが、
防備に相当力を入れた城だったようです。
この城も国道301号のすぐ近くにあり
交通の要衝にありました。




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by harahira2 | 2018-03-07 22:21 | 歴史 | Comments(0)

新城の城めぐり ー野田城址ー


新城市野田町にある野田城址を訪ねました。
野田城は徳川家康に属する菅沼定盈が守る城で、
西上をはかる武田信玄が攻防戦を繰り広げました。
城は武田信玄に攻められて守り切れず
菅沼定盈は開城しましたが、
武田信玄は直後に体調を崩して
本拠地の甲斐へ戻ろうとする途中で死去。
ということで、
武田信玄最後の戦いの場として有名です。

左が城跡です。二の丸になります。
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解説板があります。
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城の縄張図。
曲輪が一列に並ぶ連鎖式の城だそうです。
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本丸と二の丸の間の堀割。
その向こうに土橋が見えます。
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本丸は広くなっています。
イベントができるようにベンチなどがあります。
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「野田城址」の石碑。
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井戸が隅っこにありました。
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この城を攻めているときに
笛の音に誘われて陣から出た信玄が
このあたりから火縄銃で撃たれ、
その傷がもとで死んだという言い伝えがあります。
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城は高台のへりにあります。
高低差はそれほどではありませんが
崖が切り立っているので、
下から攻めるのは難しそうです。
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三の丸も見てみました。
低めの土塁らしきものが見えます。
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高台の下にあった解説板です。
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<center><br> 新城市野田町にある野田城址を訪ねました。<br>野田城は徳川家康に属する菅沼定盈が守る城で、<br>西上をはかる武田信玄が攻防戦を繰り広げました。<br>城は武田信玄に攻められて守り切れず<br>菅沼定盈は開城しましたが、<br>武田信玄は直後に体調を崩して<br>本拠地の甲斐へ戻ろうとする途中で死去。<br>ということで、<br>武田信玄最後の戦いの場として有名です。<br><br>左が城跡です。二の丸になります。<br>
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解説板があります。<br>
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城の縄張図。<br>
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本丸と二の丸の間の堀割。<br>その向こうに土橋が見えます。<br>
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本丸は広くなっています。<br>イベントができるようにベンチなどがあります。<br>
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「野田城址」の石碑。<br>
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井戸が隅っこにありました。<br>
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この城を攻めているときに<br>笛の音に誘われて陣から出た信玄が<br>このあたりから火縄銃で撃たれ、<br>その傷がもとで死んだという言い伝えがあります。<br>
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城は高台のへりにあります。<br>高度差はそれほどではありませんが<br>切り立っています。<br>
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三の丸も見てみました。<br>低めの土塁らしきものが見えます。<br>
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侍屋敷が高台の下にあったとされます。<br>その場所に<br><br><br><br><br></center>

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by harahira2 | 2018-03-07 20:45 | 歴史 | Comments(0)

吉田城鉄櫓下石垣発掘調査説明会


吉田城鉄櫓下石垣発掘調査説明会に参加してきました。
吉田城はもともと牧野古白という牛久保の領主が
1505年ごろ築城しましたが、
これをその後牧野氏と戸田氏が争奪を繰り広げたのち
徳川家康の配下の酒井忠次が城主となり
さらに徳川家康が関東に移ると
池田輝政が城主となって大規模に改築したものです。
池田輝政はこののち姫路に替わるので
あの姫路城の雄大な城郭建築の素地が
この吉田城の建築で培われたのではないかと思います。

その吉田城はその後改修が重ねられましたが
北西にある三層の鉄(くろがね)櫓下の石垣は
池田輝政時代の石垣だろうといわれています。
文献によれば鉄櫓を天守と呼ぶこともあるようです。

今回の発掘調査ではその鉄櫓横の堀から
石垣の基礎部分を発掘したものです。
かなり頑丈に地盤を築いたことがわかったようです。

東の入口は裏御門。
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本丸正面入口の南多門。
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鉄櫓です。
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その前で甲冑女子サポーターがかっこよくポーズ。
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説明してくれる担当者も
徳川家康の甲冑を着て登場。
たまたま訪れた幼稚園児に大評判。
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受付のようす。
全体で650人ほどの参加者があったそうです。
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鉄櫓から下の発掘現場を見る。
高さは13mあるそうです。
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北多門から下りたところからの鉄櫓。
こちらから見ると見映えがする。
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説明する徳川家康殿。
堀のさらに下に石垣の基礎がありました。
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池田輝政がこの城を改修したのは16世紀末ごろ、
もう400年以上も石垣を支えています。
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堀の底から見た鉄櫓。
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城の石垣にはいろいろな刻印がありました。
これはチョークでわかりやすくしています。
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吉田城には花は少ないですが、
ウメの花が咲いていました。
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南西の千貫櫓のところにスミレが咲いていました。
日当たりが最高にいいところです。
画面上部は堀です。
落ちないように腹ばいになって撮影しました。
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おそらくタチツボスミレでしょう。
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この日は最高気温17度と
すっかり春の陽気でした。


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by harahira2 | 2018-03-04 22:20 | 歴史 | Comments(0)

姫路城訪問


国宝・姫路城に行って来ました。
歴史マニアのわたしですが
定年前は仕事優先できたので
自分ひとりで旅行することはこれまでほとんどなく、
たまに職場の旅行に出かけたぐらいですから
一度は行ってみたいとは思っても
なかなか実現できませんでした。

今回知り合いが姫路城マラソンに出るになったので
この機会を逃すと一生訪ねられないと、
その応援を兼ねて姫路まで行って来ました。

姫路城は駅前大通りの正面にあります。
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姫路に着いたころマラソンはスタートでした。
スタートは姫路城で、
駅前の大通りを駅に向かって走った後
途中で曲がっていくようてす。
途中で走者が走るのを応援しました。
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城の近く。
観光客と応援者とボランティアであふれていました。
緑色の服を着た人がボランティアで
ものすごい人数のボランティアがいました。
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大手門はマラソンのため通行できません。
大きく迂回していきます。
動物園が城内にあります。
それなりにたくさんの獣舎がありましたが、
先を急ぎました。
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堀の向こうに姫路城。
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さらに近づきます。
姫路城は城の向きと塀の向きが違うので
傾いて見えるような気がします。
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入城口の手前に長屋風建物がありました。
目立った標示もないけど寄ってみました。
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ここに修理のときに傷みが激しいということで
取り替えられた西大柱が展示されていました。
旧西大柱は総長が24.7mで、
2本が縦につながれていたそうです。
一番下の部分の太さが95.4cmと
ものすごく太いものです。
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入城口です。入場口ではありません。
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菱門が最初の門です。
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いノ門。
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三国堀の向こうに天守閣。
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ろノ門。
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はノ門。かなりしっかりした造りです。
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俗に将軍坂というそうですが、
将軍が通ったわけではないとのことで、
テレビの「暴れん坊将軍」で出てくるからだそうです。
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ニノ門。
このあたりから通路も狭くなる。
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この門は天井がかなり低い。
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水ノ一門。
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井戸がありました。
姫路城は高台に造られているので
水を得るには相当深くする必要がありそうです。

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水ノ二門。
狭い門ですね。
敵が大勢で押し寄せても
通過できるのは少しずつになります。

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水ノ三門。

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水ノ四門。

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水ノ五門は工事中。

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家紋瓦。
いろいろな家紋が並んでいました。

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水ノ六門。

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靴脱ぎ場。ここから天守閣でしょうか?

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天守閣内は暗い。

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しかし、かなり広い。

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石落とし。

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非常口のよう。

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不思議な空間ですが
飛び出た屋根の破風の下部分でしょう。

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武具庫。

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修復された西大柱。

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階段はかなり急。

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不思議な階段がありました。
物見の代わりでしょうか?

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最上階には神社がありました。

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最上階からの展望。
姫路駅が正面に見えます。

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武蔵が妖怪と戦ったという場所。

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武者隠し。本当に隠れる機会があったのか?

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ロの渡櫓。

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本丸の備前丸に出ました。

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備前丸の説明。

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三角点が一画にひっそりとありました。

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折廻り櫓。

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たまたま内部を公開していました。

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りノ門。

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この石垣には石棺が使われたそう。
ほかにもいくつか使われているらしい。
古墳がたくさんつぶされたんですね。

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二の丸からの天守閣。

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番長皿屋敷で有名なお菊の井戸。

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ぬノ門。

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扇の勾配をもつ石垣。

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るノ門。
隠れているような位置にあり
気づかず通り過ぎるところでした。

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西の丸へ。

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西の丸の広場。

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ここの建物は廊下の長さが
100間あるといわれ百間廊下と呼ばれる。
300mと書いてあったけど
百間だったら180mのはずです。

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そのうちの化粧櫓。
豊臣秀頼の妻だった千姫が
再婚したのちここにいたといいます。

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ひととおり見終わったころ
選手たちが続々とゴールしてきました。
城を背景に豪華なゴールですね。

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姫路城は吉田城を改築した池田輝政が
関ヶ原の戦いのあと姫路に移封され
ここを大規模に改築したそうです。
吉田城での築城の経験が
生かされているのかもしれません。

広い敷地に豪華な入り組んだ造りの城でした。
じっくりみたつもりでしたが
見損なったところがたくさんありました。
もう一度よく見てみたいものです。


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by harahira2 | 2018-02-11 23:01 | 歴史 | Comments(0)

秋葉山訪問


岡崎市美術館でやっていた
「三河の秋葉信仰」展の余韻がさめないうちにに
秋葉山を訪れてみようと思って
浜松市天竜区春野町の
秋葉神社に行って来ました。


はじめに寄ったのは下社です。
ひっそりとしてさみしい感じです。

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本殿の横に何メートルもある
でかい十能がつり下げられていました。
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ここは東海自然歩道の一部になっていて
下社から山伝いに上社まで歩く道がありますが、
往復で4時間ほどかかるようです。
もっと早く着けばがんばったのですが、
途中でいろいろなところに寄ったのが響きました。
いずれ歩いてみたいものです。

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車で山をぐるっと回るように移動しました。
しかし、車でも30分以上かかりました。

上社の駐車場から見た大鳥居。

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秋葉神社の案内図がありました。

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階段を500段くらい登っていきます。

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西神門です。

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神門の四隅には彫られた
朱雀、青龍、玄武、白虎の四神があります。
下に人の顔が見えます。
神様でしょうが誰でしょう。

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本殿手前の「幸福の鳥居」です。
金色に輝く鳥居ははじめてです。

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本殿です。
奥から祝詞をあげる声が聞こえてきました。
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ここから秋葉寺(しゅうようじ)まで
東海自然歩道になっている山道を歩きます。

少し行くと東の神門です。
通り過ぎて見たところ。
左には大杉が林立していました。

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以前森林火災で本殿などが燃えてしまったとき
この東の神門だけは類焼を免れたそうで
古いまま残っています。
ここにも神像がありました。

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秋葉寺に着きました。
ひっそりとしたたたずまいです。

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秋葉寺はもともと秋葉神社と一体でしたが
明治の神仏分離で分けられてしまったものです。
天狗の化身の三尺坊をまつっています。

すぐ下に秋葉寺の説明がありました。

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秋葉山に通じる道は秋葉道と呼ばれ、
各地からこの道を通って参詣したそうです。

ここまでで来た道を帰りました。

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道は幅広く整備されて歩きやすかったのですが
帰りはひたすら登るので多少たいへんでした。

いずれ上社と下社を結んで歩いてみたいものです。


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by harahira2 | 2018-01-27 23:06 | 歴史 | Comments(0)

田原市博物館保美貝塚展

田原市博物館に保美貝塚展を見に行ってきました。
保美貝塚は田原市南部にある大きな貝塚で、
同じく田原市の吉胡貝塚、伊川津貝塚とともに
全国的にも有名な貝塚です。
縄文時代に栄えた貝塚で、
貝殻のほか人骨や骨角器、
石器なども多数出土しています。

パンフレット。
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入口のようす。
イメージ 1

貝塚周辺のようすを解説しています。
イメージ 2

人骨がいっぱい展示されていました。
頭蓋骨は控えておきます。
イメージ 3

骨角器です。大量です。
イメージ 4

貝はいろいろな種類が食べられていました。
イメージ 5

山になって置いてありました。
イメージ 6

貝殻でつくったアクセサリー。
イメージ 7

骨角器でつくったやじりなど。
イメージ 8

もちろん石器もあります。
イメージ 9

墓に埋められていた人骨の写真が
原寸大で置いてありました。
イメージ 10

ここで変わっているのは盤状集骨墓です。
骨を集めて四角く並べています。
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環状木柱列といって、
環状に木の柱が立っていた跡があったそうです。
40cm以上の太さの柱もあるようですが、
目的はわかりません。
その想像図。
イメージ 11

コンパクトな場所ですが、
貴重な出土品がぎっとしりと置かれていました。

ついでながら、
田原市博物館は田原城跡にあります。
イメージ 12

今回はパスしましたが、
渡辺崋山関連の展示も充実しています。
また機会を見つけて寄りたいと思います。


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by harahira2 | 2018-01-18 22:02 | 歴史 | Comments(0)

三河の秋葉信仰展


秋葉信仰というのは、
火事を防ごうと秋葉山をまつるもので
この地域でも神社や仏閣、村の中に設置され、
現在でも多数が残っています。
豊橋にも東八町の交差点に
大きな秋葉山常夜灯があります。
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ちょうど岡崎市美術博物館で
「三河の秋葉信仰」の展示をしていたので
興味を持って見て来ました。

パンフレットです。
秋葉山の主神は三尺坊といいます。
カラス天狗に似た姿をしています。
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展示は撮影不可でしたから
ここに挙げることはできませんが、
秋葉信仰の成り立ちから
秋葉信仰が人々に浸透していくようす、
そして現在の状況まで
かなり詳しく展示してありました。

それにしても岡崎市美術博物館は
広い敷地に広い駐車場、立派な建物と
すごい金をかけて作られています。
うらやましいかぎりです。

入口は小さいようですが
これは入口だけの2階部分。
入ると案内カウンターがあって
すぐにエレベーターで下に降ります。
メインフロアは1階で広いですが、
写真は撮りづらいのでやめました。
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横から撮ったもの。
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館内の1コーナー。
全国からのポスターが貼ってありました。
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すばらしい展示に何回も行き来してしまいました。


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by harahira2 | 2018-01-08 23:26 | 歴史 | Comments(0)