カテゴリ:歴史( 24 )

設楽町滝瀬遺跡発掘調査現地説明会


設楽町の外れにある八橋地区は
設楽ダムができると水没してしまいます。
このあたりにはいくつもの遺跡があり、
その遺跡も水没してしまうので
少し前から発掘調査がされています。
滝瀬遺跡もその1つです。

そこで縄文時代早期の住居跡が発掘されたと
新聞で報道されました。
なんと9000年以上も前の竪穴住居跡です。
全国でもなかなかない貴重な発見です。
この日現地説明会があったので見学に出かけました。

滝瀬遺跡は設楽町と津具を結ぶ
県道10号線の脇にあります。
山あいの谷にせり出した緩斜面になります。

説明のようす。
10個の竪穴住居跡が見つかったそうです。
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十字に掘り残してある住居跡。
ここからたくさんの遺物が出たそうです。
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作業事務所での展示のようす。
ものすごく多くの参観者でした。
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石器や土器等です。
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ここに住んだ人たちは
どうしてこんな山中に住み着いたのか。
山の中に分け入るだけでもたいへんです。
どんなふうに生計を立て、
どんなものを食べていたのかなど、
想像がどんどんふくらみます。

これだけ貴重な遺跡がダムに水没してしまうのは惜しいと思います。
なんとかならないものでしょうか。

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by harahira2 | 2018-12-08 23:05 | 歴史 | Comments(0)

古代アンデス文明展


名古屋市博物館で開催された
古代アンデス文明展を見て来ました。

名古屋市博物館です。
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古代アンデス文明は紀元前3000年に始まったそうです。
全体を第1部から第6部まで分けて展示していました。
第1部の概説パネルです。
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自らの切った首を持つ男の像。
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土器のつくりがすばらしい。
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金を使った飾りもありました。
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精密かつ複雑な構成の刺繍。
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すばらしい展示でした。

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by harahira2 | 2018-11-30 23:27 | 歴史 | Comments(0)

正倉院展と興福寺周辺、平城宮跡歴史公園


奈良国立博物館で開かれている正倉院展を見学し、
続いて興福寺やその周辺を回って、
その後平城宮跡歴史公園に寄りました。

正倉院展は正倉院収蔵の宝物を展示するもので、
毎年1回開かれていますが、
展示するのは総所蔵品9000件のうち数十件なので
もう2度と見られないものが多数あります。

正倉院展の案内チラシ。
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館内はそれほど明るくないので、
本物より写真のほうがきれいです。

奈良国立博物館の外観。
いっぱいの人が並んでいました。
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当然展示資料室は撮影禁止です。
かわりに売店などのようすを挙げておきます。
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ついでに興福寺に寄りました。
最近落慶したばかりの興福寺中金堂。
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五重の塔と東金堂。
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北円堂で無着・世親などの像を公開していました。
こちらももちろん写真撮影は不可。
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東大寺南大門を通ってみました。
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そこから見た東大寺大仏殿。
今回は東大寺大仏殿はパス。
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さらに平城宮跡歴史公園に寄りました。
朱雀門です。手前は幅やく80メートルの朱雀大路。
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平城宮いざない館は広いスペースをもち、
平城宮の発掘や復原のようすをくわしく解説しています。

床に描かれた平城宮の絵図。
規模の大きさがわかる。
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平城宮の模型。いろいろな建物があった。
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大極殿の骨組みの模型がすばらしかった。
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平城宮跡は去年時間をかけて全体を見て回りましたが、
さらにゆっくり時間をかけて見て回りたいと思いました。

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by harahira2 | 2018-10-29 18:21 | 歴史 | Comments(0)

京都御所見学


旅行で京都御所を見学してきました。
京都御所の見学は初めてです。
以前は春秋のみ事前申し込みでしか見学できませんでしたが、
最近になって通年で常時、
しかも事前申し込みなしで見学できるようになりました。
そして職員による案内が1日4回行われます。
時間に合わせて多くの人でにぎわっていました。

御所の外周路は広い。
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宜秋門。
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御車寄。もちろん牛車ですね。
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諸大夫の間。客間みたいのものでしょう。
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新御車寄。車寄が2つあるのが不思議。
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紫宸殿。重要な儀式を行う場。
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清涼殿。こちも大切な儀式をおこなったそう。
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御池庭。優雅な庭園。
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御学問所。
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建物はすべて檜皮葺で豪華なものでした。
京都御所は江戸時代までは皇居で、
今でも宮内庁の管理下にあります。
警備の警官も皇宮警察なんですね。
貴重な見学になりました。
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by harahira2 | 2018-10-28 18:13 | 歴史 | Comments(0)

豊川の城めぐり ー瀬木城跡ー


豊川市瀬木町にある瀬木城址です。
こんなところに城跡が?
というほどの平坦な土地にあります。

瀬木城は1493年に牧野古白が築城したものだそうです。
牧野古白は吉田城を築いたことで有名です。

この城は当時豊川のすぐ横にあり、
船運を通じて北の牧野城とつながっていたようです。
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現在は壊れた神社があります。
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裏手の竹藪にこんもりとした土盛り。
土塁にしては位置がおかしいが。
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さらに進むと堀がありました。
幅6間というので10m近くあります。
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場所は東名に通じる151号バイパスの近くです。
名前は以前から聞いていましたが、
こんなところにあるとは意外でした。


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by harahira2 | 2018-03-20 21:44 | 歴史 | Comments(0)

豊川の城めぐり ー岩略寺城址ー

岩略寺城は豊川市長沢町にあった城で、
関口氏がはじめに築き、
その後長沢松平氏が領有するなど、
城主は何度となく替わったようです。

岩略寺城は城山と呼ばれる
標高170mほどの山上に築かれたもので、
配置図を見てもわかるとおり
本曲輪の周りに何重にも曲輪をめぐらせた
かなり複雑な構造になっています。
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南曲輪。
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本曲輪。
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ここには井戸がいくつもある。
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三日月堀。
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東曲輪。
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曲輪の下にさらに曲輪があるはずですが
あまりにも高度差があるので下が見えません。
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全部回るには1時間では足りません。
かなり見応えのある城跡でした。

この日は雨の中の訪問でしたから
坂は滑りやすいし
草むらには入りづらいしで
じっくりと見学できませんでした。
また天気のよいときに行ってみたいと思います。




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by harahira2 | 2018-03-20 21:06 | 歴史 | Comments(0)

豊川の城めぐり ー伊奈城趾ー


豊川の城をいくつか回ってきました。
まず、伊奈城趾を取り上げます。
伊奈城趾は豊川市伊奈町にあり、
現在は伊奈城趾公園として整備されています。

この伊奈城は伊奈本多氏の城で、
三方を河川と沼地に囲まれた城でした。
現在は田畑の中にあります。
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伊奈城の説明と本多氏の系譜です。
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現在は本丸跡に物見櫓が模擬的に建てられています。
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土塁が残っていて石碑が設置されています。
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土塁は一辺だけですが、
かなり高く良好に残っています。
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発掘調査の時、逆茂木が出土したそうです。
逆茂木とは敵の侵入を防ぐため
先を外側にとがらせた柵です。
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徳川家康の先祖の松平清康が
この城で戦勝を祝ったとき
本多氏の家紋の葵をもらったということで
三つ葉葵のもとになったそうです。
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by harahira2 | 2018-03-20 20:43 | 歴史 | Comments(0)

新城の城めぐり ー古宮城ー


新城市作手清岳にある古宮城址を訪ねました。
同じ新城市作手清岳にある亀山城とは
1kmぐらいしか離れていません。
武田信玄が築かせた伝えられていますが
亀山城もこのころ武田方だった時期があり
関係はよくわかりません。

平地にあった小山に造られた平山城ですが、
かなり複雑で手の込んだ造りになっています。

現在は入口が神社になっています。
裏山が城跡です。
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解説板。
縄張図を見たいものです。
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曲輪のひとつ。
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とにかく堀が深いです。
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しかも何重にも堀と土塁が巡らされています。
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下から見上げたところ。
実は最上段に人が立っています。
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別な場所でも4段になっているところがあります。
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植林のため見通しづらいのですが、
防備に相当力を入れた城だったようです。
この城も国道301号のすぐ近くにあり
交通の要衝にありました。




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by harahira2 | 2018-03-07 22:21 | 歴史 | Comments(0)

新城の城めぐり ー野田城址ー


新城市野田町にある野田城址を訪ねました。
野田城は徳川家康に属する菅沼定盈が守る城で、
西上をはかる武田信玄が攻防戦を繰り広げました。
城は武田信玄に攻められて守り切れず
菅沼定盈は開城しましたが、
武田信玄は直後に体調を崩して
本拠地の甲斐へ戻ろうとする途中で死去。
ということで、
武田信玄最後の戦いの場として有名です。

左が城跡です。二の丸になります。
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解説板があります。
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城の縄張図。
曲輪が一列に並ぶ連鎖式の城だそうです。
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本丸と二の丸の間の堀割。
その向こうに土橋が見えます。
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本丸は広くなっています。
イベントができるようにベンチなどがあります。
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「野田城址」の石碑。
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井戸が隅っこにありました。
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この城を攻めているときに
笛の音に誘われて陣から出た信玄が
このあたりから火縄銃で撃たれ、
その傷がもとで死んだという言い伝えがあります。
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城は高台のへりにあります。
高低差はそれほどではありませんが
崖が切り立っているので、
下から攻めるのは難しそうです。
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三の丸も見てみました。
低めの土塁らしきものが見えます。
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高台の下にあった解説板です。
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<center><br> 新城市野田町にある野田城址を訪ねました。<br>野田城は徳川家康に属する菅沼定盈が守る城で、<br>西上をはかる武田信玄が攻防戦を繰り広げました。<br>城は武田信玄に攻められて守り切れず<br>菅沼定盈は開城しましたが、<br>武田信玄は直後に体調を崩して<br>本拠地の甲斐へ戻ろうとする途中で死去。<br>ということで、<br>武田信玄最後の戦いの場として有名です。<br><br>左が城跡です。二の丸になります。<br>
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解説板があります。<br>
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城の縄張図。<br>
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本丸と二の丸の間の堀割。<br>その向こうに土橋が見えます。<br>
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本丸は広くなっています。<br>イベントができるようにベンチなどがあります。<br>
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「野田城址」の石碑。<br>
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井戸が隅っこにありました。<br>
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この城を攻めているときに<br>笛の音に誘われて陣から出た信玄が<br>このあたりから火縄銃で撃たれ、<br>その傷がもとで死んだという言い伝えがあります。<br>
e0293913_00022143.jpg
城は高台のへりにあります。<br>高度差はそれほどではありませんが<br>切り立っています。<br>
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三の丸も見てみました。<br>低めの土塁らしきものが見えます。<br>
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侍屋敷が高台の下にあったとされます。<br>その場所に<br><br><br><br><br></center>

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by harahira2 | 2018-03-07 20:45 | 歴史 | Comments(0)

吉田城鉄櫓下石垣発掘調査説明会


吉田城鉄櫓下石垣発掘調査説明会に参加してきました。
吉田城はもともと牧野古白という牛久保の領主が
1505年ごろ築城しましたが、
これをその後牧野氏と戸田氏が争奪を繰り広げたのち
徳川家康の配下の酒井忠次が城主となり
さらに徳川家康が関東に移ると
池田輝政が城主となって大規模に改築したものです。
池田輝政はこののち姫路に替わるので
あの姫路城の雄大な城郭建築の素地が
この吉田城の建築で培われたのではないかと思います。

その吉田城はその後改修が重ねられましたが
北西にある三層の鉄(くろがね)櫓下の石垣は
池田輝政時代の石垣だろうといわれています。
文献によれば鉄櫓を天守と呼ぶこともあるようです。

今回の発掘調査ではその鉄櫓横の堀から
石垣の基礎部分を発掘したものです。
かなり頑丈に地盤を築いたことがわかったようです。

東の入口は裏御門。
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本丸正面入口の南多門。
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鉄櫓です。
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その前で甲冑女子サポーターがかっこよくポーズ。
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説明してくれる担当者も
徳川家康の甲冑を着て登場。
たまたま訪れた幼稚園児に大評判。
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受付のようす。
全体で650人ほどの参加者があったそうです。
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鉄櫓から下の発掘現場を見る。
高さは13mあるそうです。
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北多門から下りたところからの鉄櫓。
こちらから見ると見映えがする。
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説明する徳川家康殿。
堀のさらに下に石垣の基礎がありました。
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池田輝政がこの城を改修したのは16世紀末ごろ、
もう400年以上も石垣を支えています。
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堀の底から見た鉄櫓。
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城の石垣にはいろいろな刻印がありました。
これはチョークでわかりやすくしています。
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吉田城には花は少ないですが、
ウメの花が咲いていました。
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南西の千貫櫓のところにスミレが咲いていました。
日当たりが最高にいいところです。
画面上部は堀です。
落ちないように腹ばいになって撮影しました。
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おそらくタチツボスミレでしょう。
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この日は最高気温17度と
すっかり春の陽気でした。


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by harahira2 | 2018-03-04 22:20 | 歴史 | Comments(0)