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上の浅間山から炭焼田


新城市山吉田の中新戸から上の浅間山に登って、
北東に延びる尾根から下新戸へ戻ってくる
という計画で山歩きにでかけました。

道の駅「三河三石(みかわさんごく)」に車を止めました。
三河三石の風景です。バイクがたくさん止まっていました。
ツーリングの休憩地になっているようです。
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この「三石」にはすぐ隣の満光寺に言い伝わる話があります。
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むかし徳川家康が武田信玄に敗れたとき、
すぐ隣の満光寺まで落ちのびて一夜の宿を頼んだ。
家康は「一番鶏が鳴いたら起こしていただきたい」と頼んで寝た。
しかし、鶏は真夜中に鳴いたので、
家康は大急ぎで寺を出発した。
直後に武田の一隊が満光寺を取り囲んだが、
家康は危機一髪のところで逃げることができたのである。
のち天下をにぎった家康は満光寺に寺領三石を与えたという。

家康が逃げたという話は他にもありますが、
信玄に敗れて逃げたのは浜松城ですから、
本当にあった話とは思えませんが、おもしろい伝説ですね。

一石というのは、100升のことで、
大人が1年間に食べる米がおよそこのくらいとされるので、
要するに3人分ということです。
かなり少ないと思いますが・・・。

満光寺の山門は新城市指定文化財だそうです。
1707年に建立された古いものです。
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この満光寺の庭園も小堀遠州流とされますが、
建物内からでないと見られないということです。

満光寺から国道257号沿いの旧道を東に向かいます。
むかしながらの雰囲気がある道です。
古い大きな家がありました。
住んでいないような雰囲気です。
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少し行くと、けわしい山の裾に鳥居がありました。
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「この上に神社があるのか。おもしろそうだ。」
と寄ってみることにしました。
小さな滝がありました。名はあるのでしょうか。
右下には小さなほこらがあります。
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アコーディオンカーテンをたたんだように
ジグザグに折れ曲がる坂です。
上から見ると折れ曲がった道がよく見えます。
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水を脇に流すように溝が掘ってあり、
よく整備された道です。
鳥居から上まで31曲がりでした。
すごい場所に作ったものです。
上には金刀比羅宮の社がありました。
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ふつう神社の裏は森になっているはずですが、
フェンスが張られている以外はありません。
切り開かれた崖の下に工事中の新東名高速がありました。
無粋ですが、移転しなかっただけでもよかったのかな。
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神社を下ってさらに東に向かいます。
石積みの護岸。かなり古そうです。
下におりる坂がついいて、
むかしは洗濯などをしたことをうかがわせます。
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道ばたにリンドウが咲いていました。
ずいぶん遅くまで咲いているんですね、
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国道257号をまたぐ新東名。高いですね。
向こうは炭焼田トンネル方面です。
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新戸川にかかる観音橋に来ました。
新戸かちぐりの会で立てた標示がありました。
「山頂まで約70分」と書かれています。
車で通ると見過ごしてしまいます。
もう少し大きいものだといいですね。
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川沿いに歩いて山へ向かいます。
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登山口の標示がありました。
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いよいよ山に入って行きます。

<続く>
by harahira2 | 2014-12-08 21:25 | 弓張山系


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