姫街道5


<続き>

鏡岩を過ぎて、
また堀割のような道が曲がりくねります。
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石段が出てきました。
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しかし、また荒れた石畳です。
ところどころわき水で濡れているうえ、
石がごろごろして歩きにくい限りです。
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また、旧国道を横切ります。
旧国道はものすごく蛇行しながら
峠を越えているんですね。
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「姫街道」の標示。
行き先はまったく見えません。
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「姫街道」の標示。
こちらには「弘法堂(様)0.3km」
「鏡岩0.5km」と書かれています。
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車止めの杭がありますが、
車で通ろうとした人が過去に多かったんでしょうか。
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水準点がまたありました。
標高272mです。
それにしても今回見てきた水準点は
すべて形が異なっていておもしろいです。
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ミカン畑の上に出ました。
一気に広がった風景が見えてきます。
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ミカン収穫用のモノレールでしょうか。
動いているところを見てみたいものです。
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それにしても、石積み量のすごいこと。
あちこちに石を積んで畑の縁をつくっています。
開拓の努力に頭が下がります。

新国道362号に出ました。
出たところには、案内地図や標示があり、
わかりやすくなっています。

「鏡岩0.6km」「本坂関所跡0.8km」の標示。 
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三ヶ日から本坂峠までの案内地図。
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奥浜名湖自然歩道案内板。
宇利峠に設置されているものと同じつくりです。
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このあたりは、現国道が整備される前の
曲がりくねった道が並縫いのように
道の右に左に残っています。
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そのひとつに逸れて行くと弘法堂です。
赤い色が鮮やかで意外と新しい感じです。
説明板には明治時代のものかと書いてあります。
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国道の路側を少し歩いたあとで、
旧道と思われる道に斜めに入って行きます。
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ミカンの花が清楚に咲いています。
撮影に失敗しました。
すみません。ピントがずれています。
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遠くに鉄塔をいただいた山が見えました。
どこかな?富幕山かな?
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民家が現れました。
道路は新しいですが、
古くからの家並みのようです。
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高札場と秋葉灯籠が並んでいました。
愛知県側では秋葉灯籠は「常夜灯」と記されて
石造りのものが立っていることが多いのですが
静岡側では社のように建物の中に
納められているのをよく見ます。
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この説明板のある石組みが高札場あとでしょう。
高札とは江戸時代に領主などが法律やきまりを
一般の民衆に知らせるために立てた掲示板のようなもので、
その高札が立てられた場所を高札場といいます。

しばらく行くと本坂関所跡がありました。
跡といっても痕跡はなく、説明の看板があるだけです。
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戦国時代からこの地に関所があり、
1600年から施設を整備され1624年までありましたが、
気賀の関所が設置されて廃止されたということです。
変ですね。1600年は関ヶ原の戦いの年で
江戸幕府の始まりは1603年とされているので、
幕府が始まる前になってしまいます。
江戸幕府の正式な発足前から
実際には関所の施設が整備されていたということでしょうか。

さらに下って国道に戻ると橘逸勢神社がありました。
「たちばなのはやなり」神社です。読めましたか?
フルネームの人名をつけた神社はめずらしいことです。
徳川家康の東照宮、豊臣秀吉の豊国神社は
歴史上の人物をまつった神社として有名ですが、
これも人名は使っていません。
わたしが知っているのは小野道風神社くらいです。
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橘逸勢は三筆のひとりと呼ばれた貴族です。
空海、嵯峨天皇、橘逸勢を三筆といい、
いずれも平安時代のすぐれた書家でした。
そんな有名な人の神社がどうしてこんなところに・・・?
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橘逸勢は、承和の変で謀反を企てたとされ
伊豆に流される途中、遠江国板築駅で病没しました。
この板築駅がこの三ヶ日の本坂付近ということです。
彼の娘は妙沖尼と名乗り、
この地で菩提をとむらったと伝わります。

筆塚がありました。
筆塚は、使い古した筆を供養するための塚で、
筆を埋めて筆への感謝の気持ちを表します。
橘逸勢が三筆だったことからここに設けられたものでしょう。
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筆塚の向こうは妙沖観音像です。

この妙沖尼をたたえた碑もあります。
「旌孝碑」です。「せいこうひ」と読むそうです。
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その近くにもうひとつ碑がありますが、
字は読み取れませんでした。
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社はちいさく、目立つ入口と比べると
拍子抜けします。
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教育委員会で立てた説明板には、
「中央の立石が逸勢の墓」と書いてありましたが、
立石が見つかりませんでした。
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次回の課題としたいと思います。

なお、この説明板には、神社名が橘神社としてあります。
「橘逸勢神社」と「橘神社」どちらが正しいんでしょう。

ついでながら、
神社に墓がある例はかなり珍しいようです。
また、尼になってとむらった場所が
神社になるというのも腑に落ちませんが、
神社に観音があるのも不思議ですね。
どういう経緯なんでしょう。

先ほど見た姫街道案内図では、
「伝橘逸勢墓」となっていて、
言い伝えでは、ということです。

今回の歩きはここまで。
あとは新国道362号を歩いて、
本坂トンネルをくぐって嵩山側に戻りました。
日差しがよすぎて林下では
木漏れ日と日陰のコントラストが強すぎ、
写真はわかりにくくなりましたが、
歴史にたっぷりと浸りながらの楽しい山歩きでした。


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by harahira2 | 2013-05-07 21:47 | 弓張山系 | Comments(0)


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